2009年10月29日
ハブ咬傷注意報
人の目を集めて飯匙倩(ハブ)の舌燃ゆる 翁 長 求
「飯匙倩」はハブである。
「波布」とも書く。
当て字だろう。
やっぱり視覚的には見慣れた片仮名の「ハブ」の方が、なんだか凄みがある。
赤い舌を出した姿態を想像するだけでも恐ろしい。
ハブを句にするのは、少々勇気が要る。
ハブは夏の季語。
例年、春先からハブの被害が多くなり、特に五月から六月に最も多くなる。
このため沖縄県福祉保健部が「ハブ咬傷注意報」を発表し、
田畑や山野、草地などへの出入りや、夜間に歩行する際には十分注意するよう呼びかける。
沖縄に棲息するハブ族の活動しやすい気象状況は、次のとおりといわれる。
ハブが活動し始める気温は18度、特に23~26度で活発に活動するという。
ハブは地面が少し湿る程度の小雨のときに良く動きまわり、
大雨時には、ほとんど行動しない。
風速2メートル内外の微風を好み、8メートル以上になると行動が鈍る。
湿度は75~90%が最適。
なお、ハブは太陽の直射光を極端に嫌うので、
餌をあさるのは、ほとんど夜間に限られるという。
このようなハブの活動に適した気象条件は梅雨期と秋霖期に現れやすい。
したがってハブ咬傷被害もこの期間に多くなる。
沖縄で「鉄の暴風」が吹き荒れていた昭和20年の梅雨のころ、
多くの県民や兵士が、ハブの好んで棲む谷間や岩かげ、洞穴や古い墓の周辺、田畑の畔などで、
敵の砲弾から身を隠していた。
もちろん逃避行も闇夜に限られていた。
沖縄戦の最中は、季節的にも、人々が行動していた場所も、
ハブに遭遇する危険性が、きわめて高かったはずである。
しかし、当時、戦野でハブにかまれて苦しんだという話は、あまり聞いたことがない。
また、数々の戦争体験記などでもハブに関する記述は、
有るにはあるが、それほど多くはない。
ハブは震動や匂いにも敏感であるという。
連日連夜、絶え間なく打ち込まれた艦砲弾や爆弾の地響きと、
あたりに漂う硝煙の匂いを嫌って、ハブも穴ぐらで萎縮していたのだろうか。

それとも戦場で運悪くハブにかまれたとしても、
そういう人や、それを知っていた周りの人々も砲弾に倒れてしまい、
話としても、記録としても残らなかったのだろうか。
当時、喜屋武岬まで追い詰められた友人も、
本島北部の山奥で飢餓にあえぎながら
食える物を探すために深山を歩き回ったという先輩も、
ハブに遭遇した記憶がないという。
確かに良質な蛋白源であるハブを見逃すことはなかったであろう。
沖縄戦当時のハブ咬傷被害については理解し難いものがある。
山野でハブに遭遇する確率は、それほど低いものなのだろうか。
県の資料によると、最近十年間のハブによる被害は、
死者4人を含め2154人であるという。
平和な今日でさえ、一年間に250数人が被害を受けていることになる。

Posted by 石垣島海森学校 at 13:19│Comments(0)
│海森学校校長室より